デス・オーバチュア
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辺り一面に花が咲き乱れていた。 赤、青、黄色、緑、紫、白、黒といった色とりどりの薔薇の花。 「七国と同じ種類の色合い……」 Dは薔薇の花園の中で独り佇んでいた。 「白薔薇、黄薔薇、赤薔薇、黒薔薇、それぞれ四人の魔王を象徴する花……」 普通、自然に存在する薔薇の色は赤と黄色と白ぐらいである。 紫がかったとか、ピンクぽいものなどもなくはないが、基本は赤だ。 まして、『ありえない物』の代名詞ともされる青薔薇など存在するはずがない。 ここにある薔薇は全て、あの男、コクマ・ラツィエルが人工的に作った物だ。 普段、この薔薇園の管理と世話はマルクト・サンダルフォンが趣味で行っている。 だが、薔薇園の主であるマルクトは今は居なかった。 正確に言うなら、七国侵攻以来、マルクトは薔薇園に……ファントムの本拠地にいまだに戻ってこないでいる。 「……そして……青い薔薇……」 Dは一輪の青い薔薇を左手でそっとすくった。 「……あの御方を象徴する花……色……」 愛おしげな、それでいてどこか悲しげな、複雑な眼差しを薔薇に向ける。 「何よりも美しい……残酷なまでに!」 Dは青薔薇を握り潰した。 Dの掌から青い花びらがこぼれ落ちていく。 「……そろそろ終わりにしましょうか……亡霊という名の序曲を……」 Dは薔薇を握り潰した己の掌を見た。 花びらだけでなく、棘も含めて全てを乱暴に握り潰したにも関わらず、傷一つ無く、血の一滴も流れていない。 「これ以上寄り道をされて、余計な方を招かれても困りますしね……それこそ、わたくしの立場がなくなってしまいますわ」 Dはそう呟くと、薔薇園を後にした。 「コクマ、居る?」 イェソドの入った部屋は奇妙な機械で埋め尽くされていた。 本来は部屋というより、倉庫といった方が正しい程の広さがあるはずなのだが、あまりに大量で巨大な機械達のせいでとても狭く感じる。 「おや、イェソドさん、その姿で固定されたのですね?」 「あはは〜っ、この姿ならきっとちっちゃくてあっちの具合も良いですよ〜、試してみますか?」 「遠慮しておきましょう。今は忙しいので」 コクマはあっさりと断った。 「それは残念ですね。ん……」 イェソドは視線をコクマに、正確にはコクマの背後のモノに向ける。 「忙しい理由はそれですか?」 コクマの背後には円柱型の巨大な水槽があった。 水槽には一人の裸の男が漬かっている。 「いえ、彼の方は調整槽の設定は全て完了していますので、後はこのまま放っておけばいいだけですよ」 「そうですか。それにしても、マッチョな男の裸かなんて見ても嬉しくもないですね〜、そういえば、ティファレクトとホドは? ここには居ないみたいですけど?」 「ティファレクトさんはあれでも吸血鬼、それにホドさんはある意味吸血鬼よりも不滅な存在ですよ」 「もう治ったんですか? 手間のいらない人達ですね……あ、人じゃないか」 「あなたにだけは言われたくないでしょうけどね」 コクマは微笑を浮かべた。 目の前に居るこの炎の悪魔に比べればティファレクトもホドも可愛いものである。 強さの、存在そのもの次元が違うのだ。 「じゃあ、何が忙しいんですか? 私の誘いを断る程に……」 イェソドは若返った姿に相応しくない妖艶な眼差しをコクマに向ける。 「パープルで少し拾い物をしましてね」 コクマはイェソドの眼差しに欠片も動じることもなく答えた。 「それに少し前からしていた研究……という程たいしたものではありませんが、実験が最終段階なものでして……」 「……どうやら、ホントに忙しいみたいですね。解りました、誰か他の人と遊ぶことにしますね」 イェソドは外見の姿に相応しいすねた子供のような表情を浮かべる。 「ええ、そうしてくれると助かります」 「むっ、遊ぶといってもあっちの遊びじゃないですからね、私はふしだらでも見境無しでもないですよ。気に入らない相手には指一本、この柔肌に触れさせないんだから」 「解っていますよ、あなたのことは誰よりも……私は『ラツィエル』でもありますからね」 「…………」 イェソドの急に真顔になると、無言でコクマを見つめる。 「あなたは一途だ、いや、一途だった……たった一人で神に逆らうほどまでに……」 「……それ以上言うな、黒天使……消されたくなければな……」 イェソドの赤い瞳に殺意の炎が宿っていた。 相手がただの人間ならその眼差しだけで命を奪える程の……殺意と憎悪の炎。 「解りましたよ、紅天使様。今の私ではあなたと勝負にすらなりませんからね……口を慎むことにしましょう」 そう言いながらも、コクマにはイェソドを恐れるような様子は欠片もない。 「相変わらず嫌な奴……あの時から何も代わっていない……」 イェソドの口調が、声質が一瞬だけ変わった。 イェソド・ジブリールではなく、イェソド・ジブリールの正体であるモノに。 「変わりましたよ。というより、私はあなたの知っている黒天使『ラツィエル』でもなければ、獅子の皇国最後の皇帝『ルヴィーラ』でもありません……私は『コクマ・ラツィエル』なんですよ」 「……そうでしたね。だから、私はこうしてあなたとつき合うことができる……あははっ、なんだか完全に興が削がれました、今日はこれで失礼しますね」 イェソドは力のない笑顔でそう告げると、コクマの研究室から出ていった。 「お帰りなさいませ、ケテル様」 自室に戻ってきたケテル・メタトロンは見覚えのない者に出迎えられた。 紫の髪と瞳をした紫色のメイド服の少女。 そんな人物は自分の傍は勿論、ファントム(組織)内で見かけたことすらなかった。 他者に関心の薄いケテルでも、このような者が組織内に居たのなら噂ぐらい耳にしたはずである。 紫という特殊な髪と瞳をしているのならなおさらだ。 紫というのは特殊な色、魔性を、魔力を意味する色であり、機械国家パープルの象徴色(イメージカラー)でもある。 「……いや、待て。貴様、覚えがある……」 ケテルは必要な記憶を思い出そうとした。 そう古い記憶ではない気がする。 すぐに思い当たり、あっさりと思い出すことができた。 「パープルの機械人形か……」 数日前に侵攻を行った、少女の髪と瞳の色と同じ名を持つ国。 そこで、コクマが破壊した魔導機と一緒に転がっていた残骸が彼女だった。 「拾ってきて、直したのか、物好きな……まったく、相変わらず何を考えているのか、解らない奴だ……」 だいたいなぜこの一体だけをわざわざ回収し直したというのか? コクマとケテルはパープルで数え切れない程の機械人形を破壊したのだ。 この一体だけどこか他の機械人形と違う、特別な人形だとでも言うのだろうか? 「……で、なぜ貴様が私の部屋に居る?」 「はい、コクマ様にケテル様にお仕えするように命じられましたので」 「……『様』だと?」 ケテルは不快な物を見るような眼差しを少女に向けた。 「所詮は機械か……プログラムだかデータだか言うものを少しでも弄られたら、自分を破壊した者だろうが、自分の国や主人を滅ぼした者だろうが、あっさりと従う……自我無き物よ……」 ケテルは少女の横を通り過ぎると、ソファーに腰を下ろす。 「案外ただの嫌がらせか? 直して……弄ってみたくて、拾ってきただけで、用が済んで不要になったから、私に押し付けたか?」 「…………」 少女は無言でケテルの傍に突っ立ったままだ。 「失せろ、私はお前など必要としない」 「……私ではご不満ですか?」 「不満も何も、私は誰も必要としない。私にとって必要なのは、価値あるものは、主人であるアクセル様と、我が半身であるマルクトだけだ」 ケテルは少女に視線一つ向けることなく、そう言い切る。 「……私は……私達は、結界の管理者として、結界と同時に制作されました。ある意味、結界という機械……システムの一部、付属品と言ってもいい存在です」 しばらくの沈黙の後、少女は突然語りだした。 「貴様の身の上など聞いていないぞ?」 「七種七色、国の数にして、結界の核たる水晶柱の数……」 「…………」 「結界を、システムを、水晶柱を、未来永劫管理守護するための半永久型奉仕機械人形……それが私です」 「……で? 水晶柱を奪った私達に恨みでも言いたいのか?」 「いえ、それはもう終わったこと、恨みなど申しません」 「ほう……?」 「ですが、その代わり、責任を取っていただきたいのです」 「責任だと?」 「はい。私から使命を役目を……生き甲斐を奪った責任をとっていただきます」 「……生き甲斐? 機械の貴様がか?」 「はい、水晶柱を奪われてしまっては、結界のシステム維持ももうはや不可能……あなたは私から守護すべき物も、仕事も、全て奪われました……これから、私にどうやって、何をして、何のために、生きろというのですか!?」 「……私の知ったことか!」 「それでは無責任です!」 「なっ……」 「私はあなたに仕えることを、使命役目、つまり仕事にすることに決めました。男らしく責任を取って私に仕えさせてください」 「馬鹿な、何を勝手な……」 「あなたがどれだけ私を拒否されようと、私は勝手にあなたに仕えさせて……御奉仕させていただきます」 「…………」 「奉仕女性(メイド)型である私は、誰かに、何かに仕えなくては己を維持できません。かってのパープルの結界システム、そしてそのシステムの継承者であるパープルの王が私の主だったように……」 「……パープルの王でも探したらどうだ? 失踪しただけで生死は不明なのだろう?」 「あの方は王としての全てを、パープルという国家を運営管理するシステムを私に委任されて姿を消されました……その最後の命令の発令と同時に、あの方は私の主人、パープルの王としての資格を失われています」 「…………」 「…………」 「……貴様が居なければ、パープルという国家の運営が成り立たないのではないか?」 「いいえ、パープルの国家運営は全てマザーコンピュータが行っています。パープルの王とはマザーコンピュータの所有者にして管理者になること……」 「それでは王など不要ではないか、飾りか?」 「そうかもしれませんね。今は代理人である私が所有者にして管理者……といっても、特に何もすることがないのです。結界システムなら管理者というより守護者として、あの場に居なければならないという気がしたのですが……マザーコンピュータに対してはあくまで所有者で管理者、守護しなければならないという気が沸きません……というよりも、パープルという国自体もはや私とってたいした価値がないのです」 「どういう意味だ?」 「パープルのために結界システムがあるのではなく、結界システムのためにパープルがあるのです……いや、あったのです。結界システムがなくなった今、あの国を守護する必要が……あの国に無為に留まらなければいけない必要が見いだせないのです」 「……まあ、言っていることが解らないこともないが……」 「解っていただけましたか? では、そういことで宜しくお願いいたします」 「だから、なぜ、私が……」 「お願いいたします」 「…………」 「…………」 「…………くっ、解ったもういい、勝手にしろ」 「はい、勝手にお仕えさせていただきます、ケテル様」 「なぜ、あの人形を堕天使にくれてやった?」 「私は機械人形が嫌いなんですよ、エルフの次にね」 コクマは作業を続けながら、背後からの男の声に答えた。 「ならば、なぜあの人形を直した?」 「アレが価値ある人形だったからです。ガラクタ同然の粗悪品の魔導機と違って、アレは魔導時代の全盛期でもなかなか無い傑作中の傑作、結界のためだけに作られたレアなオーダーメイドな半永久型……いえ、永久型といってもいい機体ですね」 「ほう……それだけ興味を持ったのなら、なおさら自分の物にすれば良かったものを……」 「最初に言ったでしょう? 私は機械人形は嫌いだと」 「ふん、訳の分からない奴だ」 「良く言われます。もっとも、あなたにはどうでもいいことだと思いますが?」 「無論だ。全て、我には関係ないことだ」 背後から気配が遠ざかっていくのをコクマは背中で感じる。 「どうでもいいことに興味を持つ程、退屈なんですね」 気配が完全に遠ざかったのを確認すると、コクマは呟いた。 赤い泉の水面が突然波立つ。 そして、間欠泉か何かのように勢いよく天井を貫くように吹き上がった。 「ふん……」 赤い水滴の雨の中、裸のティファレクトが姿を現す。 「神気で受けた傷というのは厄介だな……再生するのに普通の何倍もの力を消耗する……まあ、それでもあの死の大鎌よりはマシか」 ティファレクトは泉の外に置かれていた黒マントを拾うと、体に羽織った。 「血が足りぬ……体の再生は完全に終わったが、消耗した力の回復が三日後が満月とはいえ、全快できるか微妙なところだな」 恐らく三日後に全てが終わる。 ティファレクトの予測通りなら、三日後、あの死神の大鎌を持った少女がここに現れるはずだ。 「できれば、あの人形師も来てくれれば手間が省けるのだがな……」 屈辱は必ず晴らす。 死神も人形師も必ず我が手で葬らなければならないのだ。 「そのためにはもっと血がいる……それもできれば聖性か魔性、どちらでもいいから純度の高い血が……」 誰の血でもいいわけではない。 無差別に集めた血をこうして体の外側から、風呂に浸かるかのように吸収するやり方では駄目だ。 禍々しいまでに強い魔力を持った魔女か、清らかな聖なる乙女。 こうして雑多な血の風呂としてならまだしも、直接相手の首筋か胸なりに噛みつくのなら、男は絶対に嫌だった。 それは拘りであり、同時に生理的なものでもある。 吸血鬼は異性の血を吸うなどと誰が決めた? それこそ偏見である。 どうせ襲うなら、見た目も、触り心地も、匂いも、悲鳴の声も、男より女に限る……とティファレクトは思っていた。 「ティファ、ティファ、珍しく吸血鬼らしい吸血衝動に溢れてるね」 ふわふわという音と共にミーティアが姿を現す。 「ミーティアか……悪いが今は貴様の相手をしてやれる気分ではない」 「ねえ、ティファ、血が欲しい?」 「ん?」 「聖属性じゃなくて多分魔属性だけど、とっても上質な処女の血……欲しくない?」 「……実は年増で非処女、運動不足で脂肪分高……ちっちゃくて量もなさそうな金髪幼女の血ならいらんぞ……」 「だああぁっ! ミーティアはちゃんと処女だよっ!」 ミーティアは叫んだ。 自分のことを言われたということを理解したということは、自覚はあったのかもしれない。 「怒る部分はそこか……」 年増と運動不足は認めて良いというか、優先度が下のようだ。 「……だいたい、年増だって、歳をとってないんだから、年増とは違うよ……」 「ふむ……」 ミーティアは初めて会った時から外見上はまったく成長していない。 少なくとも、ティファレクトと共に歩んだ数年の間は、本人の言うように、歳をとっていないのは間違いなかった。 もっとも、外見がいくら成長していなくても、時間が流れている以上、歳はとるという考えの方が正しいかも知れないが……。 「……冗談はともかく、我に血を吸われるということがどういうことか、解っているのだろうな?」 ティファレクトは真顔で鋭い眼差しをミーティアに向けた。 「勿論だよ」 「下僕になぞならんぞ。ただ、一滴残らず血を吸い尽くされてひからびるだけだ……それでも良いのか?」 「愛するティファの糧になるのも一興だよね〜」 「ふざけたことを…………」 「ミーティアのお願いを聞いてくれるなら、ホントにミーティアの全てをティファにあげる……」 「…………」 「…………」 互いの真意を、どこまで本気なのか探り合うように見つめ合う。 「……いいだろう、条件を……願いを言ってみろ。三つまで叶えてやろう、ただし可能な願いだけだ」 「三つの願い……正式な精霊や魔神の契約の形式だね。一つでも良かったんだけど……欲張っちゃうよう?」 「遠慮するな、命と等価交換に叶える願いだ……思い残すことがないようにしろ」 「うん、じゃあね、一つ目の願いは……」 ミーティアは一つ目の願いを口にした。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |